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傲慢と善良 自己愛,ピンとこない,アラサーに刺さる名言集

この記事では、「人生で一番心に響いた小説」「心をえぐられる」と評される『傲慢と善良』から、心に残る名言をご紹介。

この作品は、単なる恋愛小説にとどまらず、生きる上で直面するさまざまな悩みに対しても答えを見つけられる物語として、多くの読者に支持されています。

文庫化もされ、販売数は今もなお伸び続け、67万部を超えるベストセラーとなっています。

そんな人気作品には、一体どのような言葉が込められているのか、以下でご紹介していきます。

そんなふうに思うこと自体が傲慢であり、間違いだった

アユは明るく社交的で、架の父親が亡くなったときも寄り添ってくれる優しい女性だった。しかし、彼女が結婚を望んでいることに対し、架はすぐに応えられず、最終的にはアユのほうから別れを切り出されてしまった。

架は漠然と「いつか結婚するだろう」と考えていたが、実際にはその「いつか」をアユに押し付けていたのだと、別れて初めて自分の傲慢さや思い上がりに気づかされたのだった。

特別でない、と思っていた恋人だった。けれど、そもそもそんなふうに思うこと自体が傲慢であり、間違いだった。

本:傲慢と善良

真面目でいい子

真面目で良い子の価値観は家庭で教えられても、社会で生き抜くために必要な悪意や打算は誰も教えてくれない。

家で学ぶ善良さは社会で必ずしも役立つとは限らない。

出世や成功のために必要な悪意や計算は、誰が教えるのだろうか。上司が部下に伝えるとしても、それが悪循環を生むことにならないだろうか。

真面目でいい子の価値観は家で教えられても、生きていくために必要な悪意や打算の方は誰も教えてくれない。

本:傲慢と善良

素直ないい子

素直な良い子だからこそ、誰かに道を示されると、疑うことなくその道に従ってしまう。自分がないので、決断ができないのだ。

素直であることは美徳だが、それゆえに他人の言葉を無批判に受け入れてしまう危険性がある。自分を持たない人は、他人の意見に流されてしまうことが多く、その人生は果たして充実したものなのか、疑問が残る。

素直ないい子だから、誰かに道を示されてしまうと、そういうものかと身を委ねてしまう。自分がない。決められない。

本:傲慢と善良

ビジョンのある人

「うまくいくのは、自分が欲しいものがちゃんとわかっている人です。自分の生活を今後どうしていきたいかが見えている人。ビジョンのある人」

本:傲慢と善良

架は失踪した真美の手がかりを掴むため、真美がかつて利用していた結婚相談所を運営する小野里に会いに行った。そこで架は、「婚活がうまくいく人とうまくいかない人の違い」を小野里に尋ねたところ、その答えは「ビジョンのある人」であった。

その言葉を聞いた瞬間、架は自然とアユのことを思い出した。アユには、架と付き合っていた当時から、結婚や出産、その後の生活に至るまで、将来のビジョンがしっかりと見えていた。しかし、架自身にはそのようなビジョンはなく、将来をただ漠然と考えていたに過ぎなかったのである。

もちろん、若い頃から明確なビジョンを持ち、早期に結婚することが必ずしも正解であるわけではない。しかし、真美が親に言われるままに婚活をしていたように、架もまた「いつかは結婚するだろう」と何となく考えていただけであった。その結果、後悔の念に駆られる姿を見れば、小野里の言う「ビジョン」を持つことが婚活においていかに重要であるかが理解できるはずである。

自己愛の方はとても強いんです。

皆、謙虚さを持ちながらも自己評価が低い一方で、自己愛の強さは際立っている。

誰もが傷つきたくない、変わりたくないと思っているのだ。

この言葉は『傲慢と善良』の中でも、特に現代の人々に対する鋭い洞察である。自己評価が低い人は外見や内面、才能を過小評価しがちで、特にインターネットが普及してからこの傾向が顕著になった。だが、そうした人々ほど内心では自己愛が強く、現状を守りたいと強く願っている。

小野里は、現代人の婚活がうまくいかない理由の一つとして「傲慢と善良」の存在を挙げている。

彼女によれば、善良に生きている人々は、親の言いつけを守り続け、自分自身で何も決めることなく、大人になってしまう。そして、自分の意志が欠如したまま、生きていくことになるという。

一方で、情報が溢れる現代社会では、自分の価値観を過度に重視しすぎるあまり、決断力が欠如しているにもかかわらず、プライドだけが高い人々が生まれ続けている。自ら行動を起こすこともせず、ただプライドを守ろうとするだけでは、結婚を実現することなど到底難しいと考えられる。

自己評価が低いのか高いのか、自己愛が強いのか弱いのかを考えさせられる一文である。

「皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛の方はとても強いんです。傷つきたくない、変わりたくない。──高望みするわけじゃなくて、ただ、ささやかな幸せが摑みたいだけなのに、なぜ、と。親に言われるがまま婚活したのであっても、恋愛の好みだけは従順になれない。真実さんもそうだったのではないかしら」

本:傲慢と善良

興味が持てない

自分が本当にそうしたいと思わないのであれば、人生は自分の好きなことだけで良い。興味が持てないことに対して、恥じる必要はないのだ。

この言葉は、誰にとっても大きな救いになるだろう。「興味が持てないことは恥ではない」という一文は特に印象深い。嫌なことをしなければ好きなことができないという考え方は、再考すべきかもしれない。

興味のないことに費やす時間は消耗が大きいが、好きなことはエネルギーを与え、継続することで大きな成果を得られるはずだ。

あなたがそうしたい、と強く思わないのだったら、人生はあなたの好きなことだけでいいの。興味が持てないことは恥ではないから。

本:傲慢と善良

ピンとこない、の正体

架が婚活をしていた際、たびたび感じていた「ピンとこない」という感覚について、小野里が説明する場面である。

相手が自分と釣り合わないと感じたとき、人は無意識に「自分の価値はこんなに低くない。もっと自分にふさわしい相手がいるはずだ」と考え、自分と相手を点数化して比べてしまう。この感覚こそが「ピンとこない」の正体であると小野里は語る。

小野里の言葉は、平然とした態度で核心を突くものばかりであり、100点や120点の相手であれば、すぐに結婚したいと思える「ピンとくる相手」となるのかもしれない。

その説得力には納得せざるを得ない部分が多く、名言として取り上げたい言葉が他にもたくさんあるが、小野里の言葉ばかりになってしまうため、今回は3つに絞らせてもらった。

「ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です」

本:傲慢と善良

生きてくために必要な悪意や打算の方は誰も教えてくれない

「箱入り娘」という言葉があるが、真実もそんな存在だったのかもしれない。大した家柄ではないものの、真面目で良い子でいる価値観は家で教わっても、実際に生きていくために必要な悪意や打算は誰も教えてくれないのだ。

これは『傲慢と善良』の一場面で、架が義姉の希望から真美の手掛かりを探るために話を聞いているシーンだ。真美は幼少期からずっと善良で、時にはそれが馬鹿正直とも言えるほどだった。他人を出し抜くための悪意や計算を知らず、そのためにしばしば損をしてきたのである。

「善良」は世間では美徳とされるが、それが原因で生きづらくなったり、婚活でうまくいかないというのは皮肉なものである。

「箱入り娘って言葉があるけど、真実の場合もそうだったのかもね。うちは、そんなたいそうな家じゃないけど。だけど、真面目でいい子の価値観は家で教えられても、生きてくために必要な悪意や打算の方は誰も教えてくれない」

本:傲慢と善良

自分がいることに何か意味があるなんて

自分がこの場所に来たこと、そして自分がここに存在することに意味があるなんて、今まで誰も教えてくれなかった。だからこそ、この言葉が胸にしみる。

これは『傲慢と善良』の中で、真美が単身仙台に渡り、ボランティア活動で写真の洗浄や地図作成を行っているシーン。

町を歩き、偶然にも洗浄した写真と同じ場所を見つけ、その写真を届け感謝された場面である。

今まで親に流されて生きてきた真美にとって、初めて誰かの役に立つことができた経験は大きな意義を持ち、自分が生きている意味を見出す瞬間だったのだ。

このボランティア活動は真美にとって、架や家族、さらには自分自身と向き合うための貴重な時間となり、架との関係を改めて考えるきっかけにもなった。

嬉しかった。自分がここに来たこと、自分がいることに何か意味があるなんて、これまで、誰からも言ってもらったことがなかった。

本:傲慢と善良

相手が、明日も待ってでけると思うのは、図々しいっちゃ。

「明日も相手が待ってくれると思うのは図々しい。それができなくなった人たちを、私はたくさん見てきたから」

この言葉は、『傲慢と善良』の中で、真美が架との関係を話した後に石母田からかけられた言葉。震災を経験した石母田だからこそ、時間の有限さや人との繋がりの尊さを強く感じさせる重い言葉である。

真美は、自分の事情をすべて打ち明け「自業自得」と思われる覚悟をしていたが、石母田たちは彼女を非難するどころか、架と再び会うための後押しをしてくれた。その助けを受け、真美は再び架と向き合う決意を固めたのである。

「相手が、明日も待ってでけると思うのは、図々しいっちゃ。急にそれができなぐなった人だぢ、わたしもうんと、見できたがら」

本:傲慢と善良

架に摑まれたその手を、自分の意思で、真実もまた強く握り返した。

架に呼ばれ、手を引かれる真実。その手を自分の意思でしっかりと握り返した瞬間に、カメラのフラッシュが再び光る。

『傲慢と善良』のクライマックスで、真美が仙台で見つけた神社で、架と結婚式を挙げるシーンだ。二人は多くの迷いや遠回りを経て、この決断に至るが、その過程こそが結婚に意味を持たせているのだ。

もし、何の問題もなく結婚していたなら、これほど深く互いを知ることもなく、ここまで踏み込んだ関係にはなれなかっただろう。

「真実」 架に呼ばれ、手を引かれる。手をつなぎ、正面を向く。そこにまた、カメラのフラッシュが光る。 架に摑まれたその手を、自分の意思で、真実もまた強く握り返した。

本:傲慢と善良

傲慢と善良

タイトルでもあるが、一人一人が自分の価値観に執着しすぎているため、皆傲慢である。

それに対して、善良な人々は親の教えや他人の決定に従いすぎて、「自分」というものが希薄になってしまっている。このように、傲慢さと善良さが一人の中に同時に存在するという不思議な時代である。

価値観を持つことは重要であるが、それに固執しすぎると傲慢になってしまう。その反面、親や他人に頼りすぎて「自分」がない人は、逆に善良とされている。同じ人間の中でこれらが入り乱れる時代は、確かに複雑である。

自分も価値観に固執する傾向があるため、その点を反省せねばならない、と感じた言葉でした。

一人一人が自分の価値観に重きを置きすぎていて、皆さん傲慢です。その一方で、善良に生きている人ほど、親の言いつけを守り、誰かに決めてもらうことが多すぎて、”自分がない”ということになってしまう。傲慢さと善良さが、矛盾なく同じ人の中に存在してしまう、不思議な時代なのだと思います。傲慢と善良

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傲慢と善良 試し読みできる?

こちらから試し読みできます。

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傲慢と善良 名言集 まとめ

本記事で紹介しきれなかった名言がたくさんありますので、興味がある方は本の方も読んでみて下さいね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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