昭和を代表する歌姫で日本のシンガーソングライターである、中島みゆきさん。
中島みゆきさんは数々の名曲を生み出してきました。代表曲には「糸」、「地上の星」、「時代」などがあります。彼女の音楽は単なるエンターテイメントを越え、人々の感情や人生に深く結びついています。その歌詞には深いメッセージが込められており、多くの人々に感動や勇気を与えていることは言うまでもありません。
深い歌詞と心に響くメロディーで知られる中島みゆきさんは、1970年代から現在まで、数々の名曲を世に送り出してきました。
悲しみ、喜び、希望、そして絶望までも描き出す彼女の楽曲は、多くの人々にとって特別な意味を持っています。
中島みゆきさんのその深いメッセージ性のある音楽がどのようにして出来上がるのか、家族に焦点を当てて調査しました。
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中島みゆきの家族
弟・一朗さん
- 中島みゆきさんには3歳年下の弟、一朗(いちろう)さんがいます。
- 一朗さんは非常に成績優秀で、外科医になりました。
- 弟の同僚には松任谷由実さんの兄弟がいるという噂もあるようです。
- 父親が突然他界した後、家計を支えたのは中島みゆきさんの歌手活動で、弟の医大の学費も支援しました。
- 一朗さんは東京女子医大の講師などを経て、2023年現在は東京の板橋中央総合病院・臓器移植センターに勤務しています。
- 移植外科のセンター長として、肝臓・腎臓・膵臓の移植を担当しています。
- 中島みゆきさんは、自身が建てた家に弟夫婦を呼び寄せて一緒に暮らし、弟のサポートを続けました。
( Д ) ゚ ゚
— 璃紅(りく) (@riku_andant) June 4, 2023
中島みゆきさんの弟さんは亡きお父上と同じく医者になったという話は知っていたけどお名前は初めて知りました。 https://t.co/ZhNfHq07Ou
父・眞一郎さん
- 中島みゆきさんの父、眞一郎(しんいちろう)さんは1924年に北海道帯広市で生まれ、北海道大学医学部を卒業した産婦人科医でした。
- 眞一郎さんは28歳で結婚し、一男一女をもうけました。
- 非常に厳格な子育てをしており、中島みゆきさんは両親を「お父様・お母様」と丁寧に呼んでいました。
- 帯広に戻り「中島産婦人科」を開業しましたが、収入は少なく、家庭は経済的に苦労していました。
- 中島みゆきさんがデビューしようとする時期に、眞一郎さんは脳いっ血で急逝しました。
- 家族に残された貯金も少なく、中島みゆきさんは家計を支えるために芸能界での成功を目指しました。
♪19年前に見たものを話せ
— YUPY (@MYUPYZ) May 25, 2023
「日刊スポーツ」(2004年5月26日)
中島みゆき 女医
・竹中直人監督映画「サヨナラCOLOR」に出演
・大病院の外科医長役
・台本3P分のセリフをこなす
・自然な演技力に関係者感激
・実生活では父・弟が医者
この映画まだ未鑑賞。どんな医師像だったのかな#中島みゆき pic.twitter.com/IpgbJj4xMu
中島みゆきさんの数々のメッセージ性の強い楽曲は、こうした家族や自身の苦労から生まれたものかもしれません。
母親・典子さん
- 中島みゆきさんの母親、典子(のりこ)さんは山形の名家出身で、1929年生まれです。
- 23歳の時に結婚し、美人だと評判でした。中島みゆきさんも母親にそっくりと言われていました。
- 中島みゆきさんが中学生の頃、典子さんは体調を崩し、母子で山形に戻り療養していましたが、数年で回復し北海道に戻りました。
- 苦労を共にしながら、父の病院を手伝い、大学卒業後の中島みゆきさんも音楽活動を続けながら病院で働いていました。
- コンテストに出るのも賞金が出るものを優先し、生活を支えていました。
- 30歳頃には人気シンガーソングライターになり、1982年に母親に都内の豪邸をプレゼントしました。
- 2010年、典子さんは自宅で転倒し、車いす生活になりましたが、中島みゆきさんと弟の嫁が献身的に介護をしました。典子さんは2014年に亡くなりました。